音楽は楽しいもの、心を和ませ励ましてくれるもの
ピアノといえば、昔も今も「憧れの習いごと」のひとつ。毎年多くの子供たちが全国の音楽教室の門を叩く。そして今、子育てや仕事に一区切りをつけた大人たちからも「ずっとやってみたかった」と入会の希望を寄せられることが増えているそうだ。しかし、ピアノはその華やかさの裏で、こつこつと地道に練習するというプロセスが欠かせないものでもある。
「特に今の子供たちって忙しいから、練習を積み重ねて上手になっていくっていう時間を待ちきれない子も多いんです。だからこそ、教える側はそれを上回る楽しさを提供しなければ、と思っています」と熱く語るのはPicony音楽教室を主宰する村上佳美さん。華やかでセレブ風の外見とパワフルな語り口、まるで大輪の薔薇のような雰囲気だ。
自宅のある愛知県大府市をはじめ、名古屋市栄の幼稚園や伏見のオフィスビルなどにもレッスンの場を広げ、多くの生徒に慕われている。
自身も3歳からピアノをはじめ、指導者としても20年以上のキャリアを持つ村上さんだが、「実は“事業”としてこの仕事を考えるようになったのは2003年ごろから」という。
実家の経営危機が進む方向を教えてくれた
村上さんは京都生まれ。ピアノが大好きで、10歳の頃には音楽大学に進むための指導も受けていた。将来はピアノの先生になると小学校の卒業文集にも書き「ピアノの先生になることしか考えていなかった」そうだ。音大在学中からピアノの先生としての活動もはじめ、結婚を機に大府に移り住んでからも、自宅で2〜3人の生徒を相手に楽しくレッスンをしていた。
が、そんな中、思いもかけない出来事が起こった。実家が経営していた服飾デザインの専門学校が経営危機に陥ったのだ。村上さんの曾祖母が創立し、創業80年を超える歴史と伝統を持ついわば名門専門学校だったのだが、当時の経営者である叔母と先代経営者である祖母が相次いで病に倒れ、村上さんの母が経営者となった。
「でも、母はずっと専業主婦で経営のことなんてほとんどわからない。いろいろあって、結局は買収されてしまったの」。経営が危ないと聞いた村上さんは、「手伝ってほしい」という母からの声に応え、大阪まで新幹線通勤する毎日が続いた。「夜10時に帰ってきて、ちょっと仮眠を取って、夜中の1時ごろに起きて家事や料理をしてまた朝家を飛び出していく日々だった」。
そこで待っていたのは、慣れない経理の仕事。その間も経営はどんどん苦しくなっていった。「スタッフの中に“もう駄目なんじゃないか”っていう空気が広がっていったとき、わたしは彼らを説得するだけの言葉を持っていなかった。もし、あのとき“わたしたちの理念はこうなんだから、みんなで一緒にもう一回頑張ろうよ!”って言えたら、何かが変わっていたかもしれない」。
今は笑顔でそう話す村上さんだが、当時はどれだけの涙を流したことだろう。が、このときの苦しい想いが、村上さんの背中を押した。
プロとして、ビジネスとして
大阪通いを終えた村上さんは、再びピアノ教室を軸とした日常に戻ってきた。しかしそこに大きな方向転換があった。それまでの村上さんのピアノのレッスンは、音大を目指す生徒のためのカリキュラムを中心としていたが、もっと一人一人のニーズにあったレッスンを提供したいという想いが膨らんだのだ。それは同時に自分の楽しみとしてのピアノ講師ではなく、「プロとして、経営者として教室を運営していく」という目覚めだった。
いてもたってもいられないほどの切羽詰った思いで、ウィルあいちの女性のための起業相談をたずねた村上さんは、そこで起業支援ネットに出会う。その後「プレゼンテーション講座」、「起業寺子屋」、起業の学校の前身とも言える「起業&ブラッシュアップセミナー」を立て続けに受講。
「ずっとピアノ一筋でやってきたから、他のことを何も知らなかったんですよ。だからとにかく学ばへんかったらあかん、今は自分に投資する時期やわ、って決めてました。起業支援ネットの講座でも、 “理念って何やの?わからへーん!”って落ち込みながら、でも今やらなあかんと思ったから、いっつも一番前の席に座るだけは座ってました」。
そんな中から生み出されたのが「音楽は楽しいもの、心を和ませ励ましてくれるもの」という理念だ。そして同時に体験説明会開催のためにプレゼンテーションスキルを磨くなど、一気に準備を進めてきた。まもなく、名古屋栄での教室を開設。そこで入会の規約なども整備し、ビジネスとしての一歩を踏み出した。
教えるという仕事は全人格を問われる
それから4年。今年の5月、新しい教室を名古屋市伏見にオープンさせた。そこでは団塊の世代、シニア世代、社会人や子育て中のお母さんなど、「大人」が主なターゲットだ。楽譜が読めなくても、ピアノに触ったことがなくても、気軽に音楽を楽しんでほしいと初心者でも3ヶ月で一曲は仕上がるようなレッスンを行っている。また退職された方が生活のリズムを作りやすいよう、午前中のレッスンを多く組んでいる。
そんな多忙な日々を過ごしながらも、ウォーキング教室に通ったり、話し方教室に通ったりと常に自分を高める努力を続けている。
「わたしたちのように何かを教えるという仕事はいつも全人格が問われていると思うから、仕事に出るときは戦場に行くような気持ち」と笑う村上さん。
そんな村上さんの存在は、生徒の父母にとっても大きいようだ。月謝の支払いにしても、現在大手のピアノ教室などでは自動引き落としにしているところも多いが、村上さんは手渡しにこだわっている。両親が一生懸命働いて稼いだお金でレッスンが受けられるということを伝えるためだ。だから渡し方も指導する。今、基本的な礼儀作法を教えられない親も増えている中、あいさつや学ぶ姿勢をも伝える毎日は、一瞬一瞬が真剣勝負だ。
「その分、休みの日は髪の毛もぼさぼさでノーメイクでぼーっとして、なんとなく一日が終わって・・・、でも、そんな時間も結構好き(笑)」。
人としての強さを伝えたい
地道な練習が必要なピアノの世界には、挫折感もつきものだ。「でも、それでいいと思うんです。落ち込んで、そこから這い上がってきた経験が多いほど、その人は強くなれる。たとえ将来ピアノを離れても、あの時頑張ったから乗り越えられた、と思い出してくれたら」。
村上さん自身も幼い頃にいじめを経験した。が、「家に帰ればピアノがある」というのが心の支えだった。
明るく華やかで若々しい外見、いつも微笑みを絶やさない、それでいて豊かな表情。パワフルでエネルギッシュな語り口。村上さんの魅力はいくつもあるが、その奥にある人へのまなざしの優しさと努力を怠らない姿勢が、多くの人を魅了するのだろう。
将来は、「自宅のある大府に自分のスタジオを持ちたい。練習の場でもあり、サロンでもあり、地域の方々との交流の場所でありっていうような。以前関戸先生から“歳をとると若さは失うけれども人との縁という財産を得るのよ”って言われたことが最近ようやく分かるようになってきたから、それを実現できるような場所、かな」。
大輪の薔薇は、色も香りもこれからますます華やいでいきそうだ。
取材・文/久野美奈子 写真/河内裕子(写真工房ゆう)
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