“野性”への旅を続けるしゃべらないコンサルタント
会報aile75号(2010年9月号)

株式会社ピー・エス・サポート 代表取締役 村田元夫さん

村田元夫さん

株式会社ピー・エス・サポート 代表取締役

1984年筑波大学大学院環境科学研究科修士課程を修了後、 (財)日本総合研究所研究員を経て、民間企業に対する経営コンサルティング活動に携わる。現職にて経営を実践するほか、有限責任事業組合サステナブル経営研究会において、CSR調査やセミナー、「CSRコミュニティ」の事業を展開中。中小企業診断士、NPO法人中部リサイクル運動市民の会監事、東海北陸コミュニティビジネス推進協議会世話人。

事業概要
株式会社ピー・エス・サポート
〒464-0032
愛知県名古屋市千種区猫洞通5-21-2 ライフピア本山3F
TEL: (052)781-5770
FAX: (052)781-5779
E-mail: info@ps-support.jp
URL: http://www.ps-support.jp/
事業理念 『自律的進化の前線を開拓する。』
・多様な『働き方』『学び方』『暮し方』が選択できる場を提供する。
・全体利益の創造につながる問題解決に寄与する。
・事業活動を通してニューパラダイム社会への推進力となる。
事業内容 企業コンサルティング、社会人のための教育研修、マーケティング調査、次世代型事業の研究、コミュニティビジネス、ソーシャルベンチャーの支援、NPOのマネジメント支援、インキュベートオフィスの運営、企業のCSR支援、情報生産技術の普及

“野性”への旅を続けるしゃべらないコンサルタント

 「吠えない番犬・鳴らない目覚まし時計・しゃべらないコンサルタント」。株式会社ピー・エス・サポート代表取締役の村田元夫さんは自らを紹介する際、この表現をよく使う。かつて、ある講座で親しい仲間から紹介されたときにつけられたキャッチコピー。

「本来の機能は果たさないけれど、存在することに価値があると解釈しています」

と村田さんは笑う。

 実際のところは、“しゃべらない”というよりは「聴くコンサルタント」なのだろう。相手の話を聴きながら、絶妙な問いを入れることで、クライアントは自分でも意識することのなかった要所に気づく。そこを掬いあげ、そっと本人に返していくのが村田流のコンサルティングだ。

 有限会社としてピー・エス・サポートを設立してから16年(2005年に株式会社に改組)。中小企業をはじめ、コミュニティビジネス・NPOへのコンサルティング、調査研究事業、CSRに取り組む企業のコミュニティづくりなど、活躍の場はますます広がっている。

 ピー・エス・サポートという社名は、「パラダイムシフト(世の中の根底をなす価値の転観)をサポートする」という想いからつけられた。

「設立当時は、まだパラダイムシフトなんて大きな声では言えなかった。本当にやりたいと思っていたことと事業が近づいてきたのは、ここ数年のことだと思います」。

 

<引っ込み思案な幼少時代>

 自分がしゃべってなんぼのコンサルタントになるとは夢にも思わなかったという村田さん。幼いころは極度の引っ込み思案だったという。

「学校に行っても1日中一言もしゃべらないような子どもでした」

両親も“この子は大丈夫だろうか”と真剣に心配していたそうだ。

 一方、運動は得意で、野球、サッカー、ラグビーといくつもの部活をはしごするほどのスポーツマン。また、気ごころの知れた近所の子どもたちとは独自の遊びをつくるなど、課外は楽しく過ごしていた。

「学校では自分に自信を持つことができなかったけれど、得意なことがあったから救われていたんだと思います」。

 勉強の中では理科が好きで、小学生のころは昆虫採集に夢中になった。高校の理科の時間に先生が雑談の中で話してくれた尾瀬の話やサル学の話になぜか心が躍った。自然の中で暮らすことへの憧れや、生命のしくみへの関心は、ごく自然に村田さんの一部となっていた。

 

<学ぶ楽しさを知る>

 そんな村田さんは、大学に入ってはじめて「勉強が面白い」と感じたという。一旦工学系に進学するも、どうしても興味が持てずに早々に退学。農学部に入りなおして森林生態学を学びはじめたときのことだ。

「それまでは、教科書には正しいことが書かれていて、これを覚えることが勉強だと思い込まされてきた。でも、大学で出会った先生は、“教科書は本当に正しいのかどうか疑ってかかれ”という人だった。自分でも考える余地があるんだと思うと嬉しかったし、本当の勉強をして来なかった自分に気づきました」。

 ただ、4年間大学で学び終えた後の自分の生き方がはっきりとイメージできていたわけではなかった。公務員や民間企業への就職には興味が持てなかったし、研究者になるほど学問が好きなわけではなかった。たまたま友人が大学院への進学を目指しており、その友人に説得されるような形で勉強を開始。大学での学びを通じて、人と自然の関係や公害が何故社会からなくならないのかといった問題意識を持っていたこともあり、学際的な問題解決の発想を取り入れている筑波大学の大学院に進学した。

 

<フィールドに全ての答えはある>

 そこで出会ったのが、文化人類学者としても著名な川喜田二郎氏とサル学の視点から人類を研究する掛谷誠氏や西田正規氏だ。「この人たちは面白いぞ!」と半ば押しかける形でその研究室に所属した。

 川喜田氏の研究スタイルは、過去の文献に頼らず、とにかく現場に行き、現場から学べというものだった。研究生は各自それぞれのフィールドを自分で見つけ、そこに滞在して調査研究を行う。村田さんは、リュックを背負って全国各地を歩きながら、農業と漁業で暮らしを立てている、能登半島の40軒ほどの小さな集落をフィールドに選んだ。人と自然がどう向き合っているのかをテーマに、たくさんの人の話を聞き、地域を観察しながら調査を進めていった。

「本当に楽しかった」

と村田さんは当時を振り返る。

「聴く力も養われたし、何より俺たちのやっていることは世界で一番面白いぞ!っていうくらいの勢いがありました(笑)」。

一方で、勉強すればするほど、今の社会のありように疑問も募っていった。

 

<放浪の日々>

 大学院卒業後に就職したのは、農山漁村向けの出版物を発行する社団法人。村田さんの仕事は、全国各地の農村を回り、出版物の購読者を獲得することだった。現代農業の在り方を問い直すという理念には共感したものの、いかんせん、組織の体質が肌に合わなかった。

「強制されたり、押しつけられると嫌になるんですよね」。

山籠りの長い新入社員研修で早くも上司と対立。見返したいという想いも手伝って、実践の営業成績は全社でもトップクラスをキープしたが、やりがいが見いだせず、退職。その後、管理され過ぎた日本から離れる想いで4ヶ月間、タイ、ミヤンマー、インド、ネパールへ放浪の旅へ出た。

 帰国後は、シンクタンクにて医療・看護関係のセミナー企画と書籍販売を行う仕事に就く。対象者のニーズを集め、よりよい企画を立てるというスキルは身につけられたものの、ここでもこの仕事が本当に自分がやるべきことなのかどうかという確信は持てなかった。

「その頃でしたね。不平不満を社会のせいにせず生きていくためには、どうも自分で事業を起こすしかなさそうだ、と思いはじめたのは」。

 そこで、まず思いついたのは実父が経営している会社を引き継ぎ、そこで自分がやりたいこともやっていく、という方法だった。最後の放浪と決めたアフリカ4か月の旅を終え、父親に頭を下げ、後を継ぐという前提で入社したが、年配の従業員が多く、現場も知らずに経営を語ろうとする若人の手に負えるものではなかった。結果、1年半で退職。

 

<ゼロからの出発〜まずはできることから>

 やはりゼロから自分で立ち上げるしかない。そう思い、オープニングスタッフを募集していたコンサルタント会社に就職。が、コンサルタントになろうと考えたわけではなかった。

「コンサルタント会社に入れば、いろんな会社を見られる。その中で一番自分に合いそうな業界で起業しよう、と思ったんです(笑)」。

 居心地はよく、このままここのスタッフとして続けることもありかな…と思ったという。しかし、最終的な理念の違いから社長の方針に納得がいかず、やはり自分でやるしかない、と決意。まずは、自分の「できること」は何かと考えて、経営コンサルタントでスタートしながらも事業転換するつもりで会社設立時の定款には、化粧品販売や環境アセスメント、旅行代理業なども仕込んだという。

 前職のクライアントを引き継いだこともあり、また知人から新しいクライアントを紹介されるなど、縁にも助けられながらすぐに食べていけるだけの事業にはなっていった。

 起業した本来の意味を考えていた頃、仙台に加藤哲夫氏(現・NPO法人せんだい・みやぎNPOセンター代表理事)という面白い人物がいることを知った。加藤氏は当時、エコロジカルな仕事を目指す人々のネットワークを主宰していた。加藤氏より主催する「ニュースクール講座」を豊田市で行うから、よかったらそこで会おうと提案され、そこで出会ったのが、加藤氏はじめ、教えない教育“らくだメソッド”の開発者・平井雷太氏、寺小屋プロジェクトの井上淳ノ介氏、まだ起業支援ネットを設立する前の関戸美恵子らだった。

 

<学びへの場づくりで人とつながる>

 「社会に出てやっとこういう人たちに出会えた、と思いました。はじめて会うのに懐かしいと感じたことを覚えています」。

ここでの出会いがきっかけとなり、新潟の清水義晴氏、名古屋で環境問題に取り組む萩原喜之氏、エコブランチの鶴田紀子氏など現在にも続く地域づくりの先駆者たちとの縁がつながっていく。

「この人の話が聞きたい!と思ったら、興味がありそうな人を集めて勉強会を開き、その人に講師として来てもらうということを何十回と重ねてきました。学びたいと思ったら、学べる環境を自分でつくってしまえばいい」

とさらりと語る。場をつくることで、そこに集う人同士が自然発生的に化学反応を起こし、新しいものが生まれる可能性も高まっていく。

 今や、企業経営・NPO・地域・環境と多岐にわたる知見をもつ村田さんは、コンサルタントとしてのみならず、異なる性質を持つ人やセクターをつなぐコーディネーターとして、また新しい動きを仕掛けるプロデューサーとしても活躍している。今回の取材を通じて、それを可能にしているのは、村田さんの「学び」への強く純粋な意志なのだということを改めて感じた。

 大学時代に映画「ブッシュマン」を見て、自分もこういう世界に生まれたかったと心底思ったという村田さん。“野性”への憧れは今も胸に抱き続けている。現代社会の中で生きていかなければならないという葛藤を抱えつつも、あらゆるものの中に眠る“野性的なるもの”を発見する喜びが村田さんの原動力なのかもしれない。そして、その喜びを追い求める村田さんの旅は、まだ途中である。

 しゃべらないコンサルタント−それは、機能に細分化される前の“存在”へと私たちをいざなう水先案内人なのかもしれない。

取材・文/久野美奈子 写真/木村善則

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