限界集落に生きる 〜自らの働く場所を自らの手でつくる〜
会報aile80号(2011年7月号)

NPO法人大杉谷自然学校校長 大西かおりさん

大西かおりさん

NPO法人大杉谷自然学校校長

社)日本環境教育フォーラム自然学校指導者養成講座1期生、北海道黒松内ぶなの森自然学校研修2期生。 三重県大台町出身。大学卒業後、青年海外協力隊の理数科教師としてフィリピンにて活動。帰国後、“自分の生まれた地域に暮らし、食べていく”ことを目指して、自然学校の設立を決意。平成13年、任意団体として、大杉谷自然学校設立。平成19年、NPO法人化。

事業概要
NPO法人大杉谷自然学校
〒519−2633 三重県多気郡大台町久豆199番地
電話:0598-78-8888
FAX:0598-78-8889
E-mail:osn@ma.mctv.ne.jp
HP:http://osugidani.jp/index.html
事業理念 急速に失われつつある「培われてきた日本人の自然観や価値観」を次世代に伝える役割を担い、「持続可能な新しい社会の創造」に寄与する
事業内容 地域の教育力(自然・人・文化)を活かした環境教育プログラムの提供

 三重県大台町は、全国でも屈指の清流・宮川の源流域から中流に沿って、東西に細長く広がっている。その最上流の集落が大杉谷だ。そこでは、周りを囲む1000メートル級の山々がもたらす豊かな自然の恵みの中で、脈々と人々の暮らしが営まれてきた。一方、1970年代以降、人口減少が進み、現在、大杉谷地域は高齢化率(65歳以上の人口比)が70%を超えるという。

 取材当日は、あいにくの雨。宮川沿いの細い国道を車で上がっていくと、雨に打たれた山々の木々はその緑を一層輝かせながら、次々と新しい表情を見せていく。その美しさに目を奪われているうちに、たどり着いたのが、大杉谷地域総合センター。1999年に廃校となった、旧大杉小学校を活用した施設だ。NPO法人大杉谷自然学校は、この施設を拠点に、大杉谷地域の豊かな自然全体をフィールドとして、活動を展開している。

 大杉谷自然学校では、環境教育事業(子ども向けや家族向けの自然体験教室、大人向けのエコツアー、企業向けの環境教育プログラムなど様々な体験活動を実施)、環境教育普及活動(環境教育に関わる人材育成)、調査研究等の事業を地域の内外に向けて展開している。地域外向けのプログラムには、三重県の津や四日市といった都市部からの参加者が主で、リピーターも多い。

 設立当初は、たった1人だった職員も、現在は常勤7名、非常勤2名。この自然学校の校長を務める大西かおりさん以外は、みな、他地域の出身だ。中には、大杉谷の自然に惚れ込み、家族で移住したスタッフもいるという。

 

この地域で暮らしたいから

 大西かおりさんが大杉谷自然学校を立ち上げた動機は、ごくシンプルな言葉で語られる。

「地元に自分の働く場所をつくりたかったのです」。

 かつてこの地域の中で主幹産業だった林業も、高度経済成長とともに生業としては成立しなくなり、それとともに多くの働きざかりの人々が地域を離れた。

「ただ、理由はそれだけではないと考えています。よく仕事がなくなったから地域から人が減ったと言われますが、たとえ仕事があったとしても、もっと便利なところに住みたいと考える人が多ければ、やはり地域の衰退は避けられない。そこには、人の価値観が大きく影響していると思います」

と大西さんは語る。

 一方で、誰もが便利さだけを求めているわけではない。大西さんもその一人だ。

「計算高いといったら身も蓋もないんですが(笑)、都会に暮らすとお金がかかりますよね。でも、ここでは最低限の現金収入さえあれば、たくさんの恵みの中で生きていくことができる。わたしにとっては、この場所にいた方が自分の個性を発揮して、楽に生きてくことができるのです」。

 その想いは、大学卒業後、JICA(独立行政法人国際協力機構)の青年海外協力隊の一員として、3年間、フィリピンに滞在した経験を通して、確信に変わっていく。大西さんは、小学生のころにアフリカで井戸を掘る活動を取り上げた新聞記事を読み、それ以来、青年海外協力隊として海外にいくことを一つの目標にしていた。その夢が叶い、赴任したフィリピンで、家族の絆や地域の助け合い、自然の恵みが、日々の営みの中にごく自然に溶け込んでいる様子を肌で感じることができた。貧しさの中にも輝く笑顔があった。

 帰国後、一旦故郷にもどり、これからの進路を模索していた大西さんはふと気付く。フィリピンにあった、絆や助け合い、そして自然の恵み・・・。それらは、自分の生まれ育った場所にもまだ残っていると。そして、それらを活かして何かができないだろうかと考えるようになった。

「“起業”は自分には向いていないという想いもありましたが、自分ひとりが食べていくぐらいのことはできるかな、というのが出発点でした」。

 

ごく自然な流れで自然学校の設立へ

 そんなある日、大西さんは、自然学校の指導者養成講座が開催されることを知る。

「その募集記事が掲載された新聞をみた瞬間に、ぴんときました。勘は鋭い方なので、これはもういくしかないと決めました」。

1年3カ月にわたる養成講座では、環境・社会・地域・プログラム運営・マネジメントなど、多岐にわたる学びとOJTでの実践の場を得た。また同じような想いを持った仲間や先達との出会いもあった。

 同じ頃、地元では大西さんも通った小学校が廃校になることが決まっており、その施設の活用方法が模索されていた。行政の中でも、都市部の住民向けに自然体験の提供ができないだろうかという企画が持ち上がっており、大西さんが指導者養成講座で実習をしている先にも視察に来たりする中で関係づくりや協議が進んだ。行政との協働という点で、大西さんが心がけたことは、“自分たちがこういうことをやりたいから支援してください・お金をください”ではなく、具体的な情報提供とともに、“こういうやり方でやれば、自分たちはここで稼ぐことができる、それを応援してほしい”と伝えること。行政にとっても、地元出身かつ自然学校開校のための専門性を身に付けた大西さんは、うってつけの人物だったようだ。研修から帰ると、地域総合センターと名前を変えたかつての小学校を拠点に事業の具体的な準備に入っていった。

「研修に行く時には何も決まっていない状態だったのに、帰ってきたら、すべてがそろっていた状態でした」

と大西さんは振り返る。

 

「地域の教育力」を活かした環境教育プログラム

 現在、大杉谷自然学校で提供しているプログラムは、年間120を超えている。その中で大切にしていることの一つに、「地域の教育力を活かす」というコンセプトがある。それを大西さんは【昔の日本人のすごさを伝える劇場】と呼ぶ。都会から訪れた人々は、地元の高齢者の方から昔ながらの知恵や技術を学び、そのたくましさや工夫に驚く。

「地域の中に残る技術・知恵・人間関係の築き方、そしてそれらの土台となる人生哲学。ここに住んできた人々の中にある、地域の中で脈々と受け継がれてきたDNA、言葉を変えれば“地域根性”ともいうべきものの中に、これからの社会に必要とされる様々な要素が含まれているのではないでしょうか」。

 大西さんは、“地域のために事業をしているという感覚はない”と言い切る。

「よく、地域からの評価はどうかとか、地域は変わってきたか、などと聞かれますが、実はそういったことにあまり興味がないんです。“地域のために”という意識もありません。あくまでも、わたしは自分の仕事をしているだけ。自分がきちんと稼いでここで暮らしていけるかどうかということだけが自分の事業に対する評価基準だと思っています」。

地域が存続しないと事業が成立しなくなる。地域がよくなれば、自分たちの事業も、より“稼ぐ”ことができるようになる。「地域」とは、大杉谷自然学校にとって、経営資源であり、存在理由そのものでもあるのだ。

「今、山や川などの自然を本当に必要としている人がどれだけいるでしょうか。祭りや信仰も、必然性がなくなったからこそわたしたちの暮らしから消えていきました。切実なニーズがあるわけでないことを知りながら、そこに重要なものがあることを伝えていくわたしたちの事業は、ある意味、大きなおせっかいかもしれません。でも、それこそが“教育”の意義ではないかとも思うんです」。

 大西さんが大杉谷自然学校を立ち上げて、丸10年が経ち、中長期の研修生やスタッフとして、その人生に関わった若者たちも50名を超えた。そんな彼らに、大西さんは

「本当にしたいことは何なのか、環境教育に関わりたいという想いの根源はどこなのか、それによって得たいものは何なのか」

と必ず聞くという。

「これはこれから起業を志す方にも、言えることだと思います。その答えにいい悪いがあるわけではない。自分の本当の動機は何なのか、自分自身の核心をつかんでおくことは重要だと思います」。

 

懐かしくて新しい未来への道のり

 そんな大西さんが、これから最も力を入れていきたいと考えているのが、限界集落対策だ。

「この地域で、都会で働くのと同等の収入を得られるような仕事を新たに創りだすことは非常に難しい。一方で、たとえ現金収入が限りなく少なくても、農的な暮らしと自然の恵み、地域のつながりの中で非常に豊かな生き方ができる人、したいと願う人は増えています。そういった、“ここに適した人”に来てもらえたらいい」

と大西さんは語る。そんな人材との出会いがあったとき、かつて地域にあった暮らし方と働き方が重なった生き方が、新しいスタイルで展開されるはずだ。地域にもそれを受け入れる覚悟ができている。

「高齢化率が70%を超えたこの地域には、このまま放置しておいたら、必ず地域そのものが消滅してしまうという共通認識があります。ある意味、捨て身で様々なことにチャレンジできるんです。ここだからできることがあると思います」。

 大西さんは、高齢化率の高さを単に嘆くべきこととは考えていない。長い時間をかけて育まれてきた文化・伝統・技術を伝えられる人が、まだ地域に存在している、ということでもあるからだ。そんな“ネイティブ・ジャパニーズ”たちが持つ価値を発信していくことが、何もかもをお金で解決するような暮らしに慣れてしまったわたしたちへの問いになる。“わたしたちは、何を得て、何を失ってきたのか”“わたしたちは、過去に何を学び、どんな未来を選択するのか“と。

 懐かしくて新しい未来へ。大西さんの営みは続く。

取材・文/久野美奈子 写真/河内裕子(写真工房ゆう)

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