●自分が受けたい介護をしたい
2000年12月2日、小野寺敬子さんは起業支援ネット主催の第3回起業コンテストの舞台に立っていた。
「ちょうどそのとき、父が倒れて、娘が流産して、自分の家族がそんな状態だったので、とにかく早く終わって帰ろう。それしか考えてなかったです」
それでも小野寺さんは、多くの女性が介護のために仕事をやめていく中、親ではなく定年した夫の面倒を看るために仕事をやめた友人の話を例に、女性だけが犠牲になる社会を変えたいと必死に訴えた。
「当時はうちのような十数名のみの小さな施設は西三河にはまだなく、そもそもデイ・サービスというもの自体があまり知られていませんでした」
大きな施設だと、決められたプログラムをこなしていくために、入浴についても、男女関係なく15、6人が裸で並べられる。小野寺さんは、自分も年をとったらこんな思いをするのかと思ったとき、自分は嫌だと思った。かなりやの浴室は一人用にした。
「いろんな身体状態の方がいます。乳癌で乳房を切除した人、病気の後遺症で皮膚がただれている人など、見られたくない人もいるんです」
親の介護だけでなく退職した夫の面倒も女性が看なければいけない現実、人としての尊厳を奪われ丸裸で並べられる老人たち。小野寺さんの悲痛な思いは多くの人の心を打った。起業コンテストでは見事マイクロビジネス大賞を受賞した。
そして、起業して6年。現在15名の定員が常にいっぱいで、ここ数年は空き待ちの状態だ。
「最初から利用者がいたわけではありません。とくに田舎なので閉鎖的で、わたしたちのような新しいサービスに対して、風当たりも強く、いわれもない嫌がらせもたくさん受けました」
●母の死を乗り越えて
かなりやにはケアマネージャーがいないため、事業開始当初はどんな利用者も受け入れた。よその施設や病院にも見放された人たちをどう介護するかで真価が問われた。大変ではあったが、これを乗り越えたことで、小野寺さんたちは、大きな自信と評判を得ることができた。
「お風呂に入れない人もいたんです。夏場はシャワーで済ませたとしても、冬に向けてどうしようと考えていました。ご家族に対して、お風呂に入れてあげられないとは言えませんから」
小野寺さんは500万円かけて機械浴を導入した。借金は増えたが、利用者はあっという間に増えた。評判を聞きつけ幡豆や岡崎の利用者もあった。
「車椅子のままミストで入浴するんですが、機械浴を入れてからは、座位が30分できれば、どんな巨体の人も大丈夫です。事故の心配がなくなりました」
利用者は増えたが、かなりやでは通常の3倍の職員で利用者を看ているため、経営は今でも苦しい。介護の質を落とせば利益は出るが、それはしたくない。
「ご家族のみなさんが、うちに預けておけば安気だとおっしゃるんです。あんたのところで何かあったら、しょうがないよって。ありがたい言葉です」
苦しいながらも、利用者やその家族に喜んでもらえることを支えにこれまでやってきた。しかし、3年前、父の介護をしていた母を亡くしたときは、もうやめようと思った。
「突然、母から電話があり、『頑張ったのさ。死ねば楽になれる』そういって3日後、病院で亡くなりました」
もう少し、もう少しで軌道に乗るので、そしたら自分の仕事も楽になる。一緒に温泉に行こうと母と約束していた矢先のことだった。自分のことがめいっぱいで、母のことを思いやる余裕がなかったことを悔やんだ。自分の親一人介護できないくせに、と囁くもう一人の自分がいつもそばから離れなかった。毎月の資金繰りが苦しく、もうこれ以上は続けられない、真剣にそう思った。
「とても落ち込みました。でも、利用者や家族の方からの声を聞くとやめられなかった。母もやめることは望んでいないと思ったんです」
親の面倒を看るのは人であればみな平等のはずなのに、嫁であったり娘であったり、いつも女性。『一人で抱え込まずに地域のみんなで支えよう』という小野寺さんの思いに賛同した創業当初からのスタッフが小野寺さんを支えた。
「何にもできない普通のおばさんのわたしについてきてくれて、スタッフにも利用者さんにも感謝です」
●地域の駆け込み寺
鹿児島出身で東京で結婚した夫の転勤で愛知に来た小野寺さん。おっとりとした話口調には引っ越して30年以上たった今でも独特のイントネーションが残る。起業準備中も小野寺という名字から「あんた、ここの人じゃないだろ」と地元の人から警戒された。
「職員には散歩などで外に出て、畑や田んぼで作業をしている人がいたら、ご挨拶して、トイレとかお水とかいつでもどうぞって声をかけてもらったんです。男性はどこでも用が足せますが、女性はそうはいきません。そうして、だんだん地域とのつながりができてきました」
お泊まりや訪問介護、介護タクシーなどデイ・サービスだけでは補えない分野のサービスにも取り組んでいる小野寺さんだが、起業コンテストで約束したことで、まだできていないことが一つだけあるという。それは畑をやることだ。
「実はちょっとやったことがあるんですが、ある朝、根こそぎ泥棒にもっていかれて、やめちゃったんです」
ところが、朝来ると裏口にスイカが10個とかジャガイモが大きな袋でドーンと置いてあったり、周りの農家が差し入れてくれるようになった。想像通り、初めは大変だったが、それを乗り越えると、地域の人たちと強いつながりが生まれた。
「日曜日はデイ・サービスの休日なんですが、資料をつくるために事務所で仕事をしていると、緊急で預かってほしいとどこからともなく来られるんです。みなさん、困って連れて来られるので、お断りはできません」
ある日、見知らぬ男性が突然来て話を始めた。自分が定年になって家にいて、自分の母親がいかに意地悪いかを知った。妻が自分の母親の面倒を見ていて愚痴をいっていたが、本当だった。そんなとき、父親が風呂場で倒れる音を聞き、行くと倒れていた。その瞬間、ドアを閉めて見て見ぬふりをしてしまったという。
「良心の呵責があって来られたんだと思う。父親が助かったら妻は二人の介護をしなくてはいけないと思った瞬間『ゴメン』とドアを閉めたそうです。ところが、その数ケ月後、その奥さんが来られたんです。『うちのお父さんは薄情なの。自分の父親が倒れてもボーッと突っ立って救急車一つ呼べなかったんですよ。男って役に立たないわ』って」
小野寺さんはそれを聞いて泣けるほどに笑った。「本当は違うのよ」辛くて涙が止まらなかった。
「みんな、本当はとてもやさしいのよ。この男性も女性も、そしてお年寄りも。何か起きたときは早く手を打たなくてはいけないですから、ここはそういう意味でも駆け込み寺なのかもしれません」
地域とともに生きている実感があると、6年間かなりやを続けてきた小野寺さんは手ごたえを感じている。女性だけが介護のために自分を犠牲にするのではなく、地域のみんなで支えあい、生きていく小さなサービスをこれからも続けたいと強く思っている。
「自分が楽しくなかったら、利用者は楽しめない。だから、自分も一緒に楽しみたい」
取材・文/ほしかずみ 写真/河内裕子(写真工房ゆう)
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